はじめに
「うつ病」という言葉は聞いたことがある。けれど、それがどんな状態なのか、どんなふうに人を変えてしまうのか──
実際に目の前でそれが起きるまでは、まったく実感が持てませんでした。
これは、自分がまだうつ病とは無縁だった頃の話です。
職場の先輩がうつ病になったとき、なぜ仕事をしないのか、本気で理解できなかった。
だけど、今では自分自身が心の不調を経験し、そのときの先輩の気持ちが少しだけわかるようになった気がします。
この記事は、理解されない側にも、理解できない側にも、どちらにも届いてほしい話です。
あの先輩、なぜ急に仕事をしなくなったのか?
その先輩は、本当に仕事ができる人でした。
真面目で、責任感が強くて、上司からも同僚からも信頼されていました。
けれど、ある時から急に仕事をしなくなった。
何かトラブルがあったのか?と周囲がざわつく中、上司が本人と面談して、病院をすすめました。
結果は「うつ病」。3か月の休職となりました。
正直、当時の自分は「そうなんだ」くらいにしか思っていませんでした。
うつ病という言葉は聞いたことがあるけれど、何かがわかった気にはまったくなれなかった。
復帰した先輩に抱いた“疑問”
3か月後、先輩は職場に戻ってきました。
見た目は元気そうで、話しかければ笑顔で答えてくれるし、雑談もできる。
でも──仕事は一切しない。
若かった自分は、率直に思ってしまいました。
「元気そうなのに、なぜ仕事をしないの?」
「治ったんじゃないの?サボってるだけじゃないの?」
今なら、その考えがどれだけ浅はかだったか、よくわかります。
「話せること」と「働けること」はまったく違う
うつ病を経験した今だからこそわかるのは、
「普通に話せるから、元気」とは限らないということです。
人は、どれほど心が限界でも、表面的には“普通”を装えてしまう。
笑えるし、挨拶もできるし、会話もできる。
でも、仕事になると体も頭も動かない。集中力も記憶力も落ちている。
そして、そのことを説明する気力すらない。
先輩も、おそらくそうだったんだと思います。
話すことはできても、働くことはできなかった。
でも当時の自分には、それがまったく理解できなかった。
仕事ができる人ほど、危ない
後になって知ったことですが、先輩はうつ病になる前──
- 毎晩のように夜中まで残業
- ユーザーからのクレーム対応で疲弊
そんな状態が長く続いていたそうです。
仕事ができる人に、どんどん仕事が集まる。
頼られて断れず、気づけばキャパオーバー。
でも、まわりは「いつものようにこなしてくれる」と思って任せてしまう。
仕事ができる人ほど、無理をしてしまう。
そして、壊れるまで誰も気づかない。
それが一番怖い循環なんだと、自分はあとになって思い知りました。
今なら、少しは助けられたかもしれない
今の自分なら、あの時の先輩に何か声をかけてあげられたかもしれない──
そんなふうに、生意気にも思うことがあります。
でも、あの頃の自分は何も知らなかった。
そして何もできなかった。
ありがたいことに、その先輩とは今でもたまに連絡を取り合っていて、ご飯を食べに行くこともあります。
こうして関係が続いていることを、心からありがたく思っています。
理解されないときの対処法
もし今、あなたが「上司や同僚に理解してもらえない」と感じているなら、無理に理解を求めすぎなくてもいいと思います。
でも、こういったことは、少しだけ助けになるかもしれません。
- 状況や体調を簡単にでも言葉で伝える(例:「今日は集中がうまくできなくて時間がかかります」)
- 信頼できる同僚や家族、社外のカウンセラーなどに話してみる
- 理解してくれない人ではなく、理解しようとしてくれる人に意識を向ける
- 勤務先に産業医や相談窓口がある場合は使ってみてもよい
※でも正直、産業医がいない会社も多い。自分も以前「そんなのいねーよ!」と思ってました。
だから、まずは病院に行って相談する、というのが現実的な第一歩かもしれません。
「ほどほどに働く」という勇気
そしてもう一つ。
これは、頑張りすぎる人に伝えたい言葉です。
「ほどほどでいい」
手を抜けとは言いません。怠けろとも言いません。
でも、自分の限界を超えてまでやる必要はない。
バリバリやってしまうと、それが「当たり前」とされてしまう。
後になって苦しくなっても、誰も気づかない。
むしろ、「なぜ急にできなくなったの?」と責められることもある。
だから、最初から“余力を残す”働き方を選ぶことは、決して甘えじゃない。
それは、自分を守るための知恵であり、長く働き続けるための戦略なんです。
おわりに
あのとき、先輩を理解できなかった自分。
今思えば、それは「うつ病を知らなかった」からではなく、「知ろうともしなかった」からかもしれません。
無知は悪ではありません。
でも、無関心や決めつけは、誰かを深く傷つけることがあります。
だからこそ、この記事が、誰かが誰かを理解するためのきっかけになれば嬉しい。
そして、「理解されなくてつらい」と感じている人の、ほんの少しの支えになれたらと思っています。
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